市村 友花
両方の目玉をざっくり切ったのである。
20代最後の「目に見える」10の音/「目に見えない」10のショートフィルムズ
夏の終わり、ひょんなことから両目の「水晶体の中心に星」があることが判明。様々な検査を経て、10月25日に右目、11月1日に左目の手術を受けた。
手術室に入ると、あっという間に手術が始まった。麻酔はしているけれど目は開きっぱなしなので、大体何をやられているのか分かる。音も聞こえる。話もできる。
眼球に圧力がかかると、うぐいす色のモヘヤで出来たイソギンチャクが前方上方部に渦巻いているのが見えた。模様、光、色、いろいろ。水晶体の記憶を倍速で見てしまったのかもしれない。そのうちに天地がよく分からなくなってくる。精神の深い部分が疲労する。
おかげで今年、我が身に起きた出来事は、すっかり色あせてしまった。私を悩ませる一切のことは取るに足らないことだった。
手術後しばらくは寝て暮らした。退屈して、手術で見た「映像」に音楽をつけるならどんな曲がしっくりくるか、まぶたの裏に「映写」しながら何曲か試して遊んだ。眼球と海馬を使った極めてプライヴェートなショートフィルムの出来上がり。
1 YOU SAW IT ALL/HERBERT
水晶体が吸い取られ、現れたのはたくさんの虹。生まれてから今まで目にしてきた虹をいっぺんに見た。「私は全てを見た」と「私は何も見ていない」にどれだけの差があるか。(左目の手術が終わった直後、よれよれの私は先生にHERBERTの話をした。先生は少し笑った。眼のレーザー手術音を使用した曲。)
2 Atoll/World Standard&Wechsel Garland
手術台、顔に掛けられる片方の目の部分がくり抜かれた布、消毒液の匂い、銀色の機械、ライト、心拍音、手術服ノ手術室は小さな宇宙船のようだった。いつかTVで見た宇宙人(つくりもの)は心細そうだった。薄そうな皮膚と宇宙の闇をたくさん吸ってしまったような大きな黒目。指先が冷たい。宇宙船はゆっくり進み、気付けば元の手術室。3 Sonet/COMBO PIANO
水晶体が吸い取られた直後なのかもしれない。薄いガラスの上を水が流れていて、それをレモン色の光が照らしている。私の目玉はガラスの真下にある。水の流れにはややとろみがあり、絶え間なく移動している。光の強さは一定で、舌を出したらほんのりレモンの味がしそうな薄い黄色。ガラスは幾重か重なっているようだ。あの時、私の目は単なる光の容れものになっていたのかもしれない。4 組曲「ヴィオラ・トリコロール」第2楽章 赤/菊池成孔とペペ・トルメント・アスカラール
右目の手術中、(まぼろしかもしれないが)ほんの数秒、血まみれの眼球が見えた。見たこともないような鮮やかな赤、それは私の血の色である。左目は手術後1週間、白目がほとんどない状態だった。その目玉がくるくる回る。時折、目の中で光の破片がきらきらする。5 Nannou/Aphex Twin
手術室の外には既に手術を終えた人・これからの人(私以外は皆、年寄りである)が、それぞれの膜の中でひっそり息をしている。手術を終えた私は抗菌剤を点滴しながら、さっきまで見ていたものを思い出している。失ったものを思い出そうとする。血圧が低い。もう少ししたらタクシーを呼んでアパートへ帰れる。でも、もう元の場所には戻れないような気もする。視力が安定するまで(手元は見えないにも関わらず)、遠くは裸眼で2.0レベルまで見えた。日常目にするものの情報量の凄まじさに、どきどきしながら暮らす。ほとんど恋である。早朝のバッティングセンターの網とまだ薄い空のコントラスト、エンゼルトランペットと自分の腹の白、木々の向こうを走る馬の尾の黒い波、馬事公苑から降る葉の描くライン、煙草の煙のゆらめき、横から光が差し込むと目の中に光が溜まって前がよく見えなくなる_その光のカーテンの美しさノ世界は今までにない見え方をする。音楽が加われば、新しい世界は更に奥行きを増す。網膜と鼓膜を使った極めてプライヴェートなショートフィルムの出来上がり。
6 MUSIC/Cornelius
視界がどんどん広がっていく期待。目の奥まで光が差し込む喜び。季節は晩秋から初冬へ。木の葉の色がみるみる変わる。農大前の巨大な銀杏の木の下、目に細工をされたかのような黄色、黄色黄色。そこから一歩踏み出す。落葉の匂い。国境さえ越えなければまた簡単に会えるよ、と誰かが言った。ふたつの目玉が私から離れて、世界を俯瞰する。7 The Evening of My Best Day/Rickie Lee Jones
両目の手術が完了して2日後、もうこれからは何でも可能だ、何があっても平気だ、という巨大な「気分」に抱きこまれた。意思とは無関係にどんどん膨張して、不安になるくらい。果たしてそれは希望だったか?「振り返れば、空は真っ青」_私が曇っている、と思っていた空は青かったのだ。v
8 Big Time Sensuality/BJORK
天然ものの水晶体で見つけた男に恋をしてきたけれど、これからは人工レンズに映った男に焦がれるのかと思うと何だかおかしな気分。青天の下「目は?目は?」と私を覗き込んだ男の瞳は茶色。一点の曇りもない目で私は男を見る。男は目を反らす。ハードコアでジェントル。黒い肩の向こうに飛行機雲。9 Haitian Fight Song/Charles Mingus
職場復帰間もない頃、ドアの隙間から葉巻の匂いと共に滲み出してきたミンガス。窓の外は闘志むき出し、ぎらぎらのオレンジ。濃厚な夜の気配が漂う時間帯。窓枠の影を自分の腕に映しながら、詩を1篇書いた。以前よりも、光の陰陽がくっきり見えるようになった。焦がした夕陽と舌先に残る音符は苦い。10 Will You Still Love Me Tomorrow/Bei Xu
真夜中に目が覚めて眠れない。新しい目に、世田谷の夜は結構明るいのだった。中国語で歌われるジャズは、FMから寒々と流れていた。シルバーの光を目の中に溜めながら、ベッドに座って静かに聴いた。静かに泣いた。水晶体はなくなって、ある種の希望に溢れても、人生の棘は刺さったまま。
